2歳0ヶ月
覚え書きです。
「今日保育園楽しかった?」の質問に対して、「今日保育園楽しかった。」「お外で遊んだ。」たとえ外で遊んでなくても、こう答える。笑
「順番」って言うけど、自分が一番最初だって意味だと勘違いしている。
「ジャンパー」自分で脱げるようになってきた。着るのはまだ難しい。
靴も脱げるようになってきた。履くのはまだ。
聞き分けが良くなってきた。「ないないして。」とか「ここねんねして」と言うとちゃんとやってくれる。少し前まではやってくれないし、泣くことが多かった。
短時間なら、二人きりでもスーパーに買い物できるようになってきた。以前は商品を取ったり、勝手に歩き回ったり…泣いてわめいて寝転がって、大変だったけど_| ̄|○ 今はそういうのは少なくなってきた。
夜、21時から22時の間に寝られるようになった。
一時期、寝る部屋にスマホの動画を持ち込んだことがあったのだが(断乳の頃。授乳の代わりと思って…)、動画に夢中になってしまい0時まで寝なかったり、スマホを取り上げると泣きわめいたり、ということが続いてしまった。寝る部屋にスマホを持ち込まないようにしたら、きちんと眠れるようになった。
うがいがいつの間にかできていた。たぶん、保育園でやってくれているのだろう。「ぐちゅぐちゅぺ、する」と言って、やってくれる。完璧ではないけど。ただ口に水を含んで出してるだけのような。笑
歌ったり踊ったりするようになった。NHKのお母さんと一緒の「わーお」をテレビを見ながら踊ったり。昔はまったく興味なかったのにな。
カラオケでの変化もあり。以前はマイクに向かって声を出すこともしなかったのに、先日はマイクを持って声を出していた。
長時間のウィンドウショッピングは相変わらず無理。アウトレットに行っても、ベビーカーは五分で泣く。ベビーカーから降ろしても歩かない。抱っこを求めてくるから抱っこをすると、「降りる」と言う…もう、わがまま全開。
ゴールデンスランバー 感想
アウトプットが少ないせいか内容をすぐに忘れてしまうので
自分のための覚書です。
ネタバレあり。
★★★★★
著 伊坂幸太郎さん
2007年
伊坂さんの作品を読むのは「モダンタイムス」に続き2作目。
どちらもとても面白かった!
伊坂さんの作品はテンポ良く読めるから好き。
文章がまわりくどくないから、あまり読書をしない私にも読みやすい。
舞台は仙台市。
爆弾をつけたラジコンヘリによって、首相が殺されてしまう。
主人公の青柳雅春は、首相殺しの犯人として警察から追われることになる。
警察から逃げながら、首相殺しの犯人は個人ではなく、なんらかの大きな組織によって行われており、自分はそれにより犯人に仕立て上げられようとしている、と気づく。
キャラクターがとても良くて、青柳雅春の大学時代の友人である森田森吾や、青柳雅春の大学時代の彼女だった樋口春子、両足骨折をして入院中の保土ヶ谷康士、青柳雅春のもと同僚で配達の仕事をしている岩崎英二郎、花火屋の轟社長に、連続殺人犯の三浦など、それぞれが青柳雅春が警察から逃れられるよう協力する。
印象に残っているシーンはやっぱり、古い車内に「おれは犯人じゃない。青柳雅春」と書いたメモを挟み、その後、その場を訪れた樋口春子が「だと思った」と返事をするところ。
結婚はして子どもがいても、樋口春子にとって青柳雅春は特別な存在だったんだろうな。
あとは最後の「よくできました」のスタンプ。エレベーターのボタンを押すところを覚えていたんだと思うと嬉しかった。
あとは青柳雅春の父親のメディアへの対応。青柳雅春が殺人犯としてテレビで取り上げられたことにより実家に取材者が殺到するわけだが、子どもを信じる親として、強い芯を感じられた。「痴漢は死ね」の書き初めにも感動。
この本を通して思ったことは、テレビで流れていることが正しいとは限らない、ということ。
あとは伊坂幸太郎さんの作品に出てくる女性はみんな、強い。精神的に強くて安定している。
すっかり伊坂幸太郎さんのファンになってしまった。ゴールデンスランバーはぜひまた読みたい作品。
2年半ぶりに7時間眠れて感動
産後3日目の朝。
目が覚めて時計を見ると6時でした。
7時間もぶっ続けで眠れたのは実に2年半ぶり。
1人目を妊娠してから妊娠中は頻尿だし、2歳になっても夜泣きがあって、今も3〜4時間毎に起きていたので
今日目覚めたとき、びっくりしたとともに感動。
寝すぎて頭がボーッとする感覚、久しぶりすぎる。
眠れるって幸せだ。笑
この病院は母子別室で、3時間毎に授乳室に行き授乳します。
1人目も同じ病院で出産したのですが、1人目の産後は高血圧になったり私の身体に発赤が出たり体調も思わしくなく、さらに旦那はまったく面会に来ないし、私は赤ちゃんに会いたくてむしろ母子同室にしたいくらいで、なんだか毎日ストレスフルでした。
でも今回は、赤ちゃんは母子別室でいいです、って思える。
1人目と2人目の違いなのかな。少し、余裕がある。
1人目のときはわからないことだらけで毎日必死で、赤ちゃんのことを「可愛い」としばらく思えなかったのに、今回はもうすでに可愛くて仕方ない。
1人目の産後はそこまでつらくなかった後陣痛が、今回は痛すぎる。
まさに陣痛並みに痛いです。
授乳中は悶絶。
産後当日と2日目の夜は痛くて何度も目が覚めました。
でも昨日はメチルエルゴメトリンマレイン酸塩(子宮収縮を促す薬)をスキップしたら、夜腹痛なく休めました。良かった。
あとは便秘が解消されればいいなぁ。
それと、おっぱいが少し張ってきたのでこれが乳腺炎に発展しないように気をつけます。
後陣痛が陣痛並みに痛い
そいつは産後1日目にやってきました。
後陣痛…。
1人目のときはあまり痛くなかったのに。
今回は出産直後からかなり痛みました。
出産直後は子宮収縮を促す点滴をしているせいかとも思いましたが、点滴が終わってからも痛い。
産後はLDRの部屋で2時間ほど休みますが、お腹が痛くて一睡もできませんでした。
病室に戻ってからも痛みは引かず。
入院初日の夜は腹痛で何回か目が覚めました。
翌日の産後1日目、授乳のたびにお腹が痛む。
授乳じゃなくても腹痛の波がやってきました。
でも、処方されていた子宮収縮を促す内服薬(1日3回、3日分の処方)はその日の分をきちんと飲むことができました。
内服のあとの授乳は地獄。。
その夜、お腹が痛すぎてほとんど眠れず。
そして迎えた産後2日目。
授乳の時間が悶絶でした。
肛門までひびくような痛み。
腰骨のあたりも超絶痛い。
本当に、陣痛並み!!
これ、いつまで続くの!?泣きそうでした。
その日は子宮収縮の内服は一度も飲めませんでした。
しかし、産後3日目、お腹の痛みが軽減している…!
内服をしても授乳中そこまで痛くなりませんでした。
私の場合、産後2日目が後陣痛のピークでした。
それ以降は痛いことは痛いけど、耐えられるレベル。
後陣痛や傷の痛み、授乳による乳首の痛み、おっぱいの張りによる痛み、母乳が出ないことや赤ちゃんが上手に吸えないことなどの悩み、夜間の頻回授乳による睡眠不足…
出産という大仕事が終わっても痛みや悩みがたくさんあって
母親になるって心身ともに大変だ。
私は今、一日中家にいるけど
結構、疲れてるってこと
うちの旦那は一生わからないんだろうな…
40週2日 出産の記録と記憶。②
分娩台に乗ったのが16時くらい。
いきむ練習のためなのか?「陣痛がきたら力入れていいよ」と言われるが、足が震えてまったく力が入らなかった。まだベッドはフラットだし。ベッドの両脇に柵があってそれを持てと言われるけど、届かねぇし。ベッド平らだから。
破水はしていたようだが高位破水のためか、人工破膜するとのこと。
このとき、担当の助産師さんがベテラン風助産師さんから、若めの助産師さんになった。
どうやら夜勤の人員に入れ替わったらしい。
若めの助産師さんがガウンを着はじめている。滅菌グローブ装着。
真っ平らだった分娩台が、分娩スタイルにチェンジする。
私は身体がめっちゃ硬いから足を無理やり開かれるのにビビってたけど、開脚は大丈夫そう。
破膜するために産道に手を入れられる。
痛いし気持ち悪い_| ̄|○
お腹も痛いし、指を入れているところも痛い。吐きそうな胃の気持ち悪さに加え、指が入ってしかも下痢しそうな下腹部も気持ち悪い。最低の気分。
しかもまだ頭が下がりきっていないせいか、「遠いですね…」と言われる。破膜できなかったようだ。私がちゃんといきむことができれば、きっと近くなるに違いない。3回目くらいのいきみでようやく破膜成功。
ベテラン風助産師さんがまだ近くにいてくれて、「これでもうすぐ会えるよ!」と元気づけてくれた。
まだうまくいきめない。いきみかたが思い出せない。
若めの助産師さんとの呼吸があわない(;ω;)
ここでまさかの、導尿する宣言される。
導尿開始。
「無理!!痛い痛い痛い!!!」と、ここで一番叫んだかもしれない…_| ̄|○
日勤スタッフが数名、「大丈夫?手伝うよ」と入ってくる。
もう泣きそうだった。泣いてたかも。
導尿がなんとか終わった。
その後はひたすら、陣痛に合わせていきんだ。
私は一回深呼吸したらいきみたいのに、若めの助産師さんは二回深呼吸させてからいきませる。タイミングがあわねぇ…!
ベテラン風助産師さんに分娩介助してほしかった…。
産道に指突っ込まれたままなのが非常に気持ち悪い!!
陣痛がない間も突っ込まれてる。痛い!
陣痛がくると痛みで吐きそうになる。
そしていきむとゲロ出そうになる。
「気持ち悪い!」と言うと、旦那がここぞとばかりに私の顔面にガーグルベースを押し当てる。
いきんでるときは便まで出そうになる。
すごい低い声でいきんでる自分がいた。
こんな姿を旦那に見られるのは嫌だった。
どんな顔して見てるんだろ、分娩室に入ってから、私は旦那の顔をほとんど見てない。
痛いよーって何回言っただろ…
痛みに弱いな自分。。
日勤の助産師さんたち数名が入ってくれて、先生も到着し、私と旦那を含め、分娩室は7人くらいになった。
「いきむときは何もしゃべっちゃダメ」と何度も怒られる。すみません…。
「もういいよ、深呼吸して。吸って、はいて!」
「下を見て」
赤ちゃんの頭が見えた。
が、ここからがまたつらかった。
肩が出ない。(;ω;)
若めの助産師さんがベテラン風助産師さん2人に囲まれ、あれやこれや言われている。
頼む〜早く出してくれー!!
結構長いこと引っかかっていた。
私は再度、ここで泣きそうだった。もう、痛すぎて。
痛い、痛い、助けてください、とか言った気がする。
若めの助産師さんを恨みそうになる。
(誰か代わってやってくれ!)と言いそうになった。それくらい私も必死…。
16時28分、出生。
声をあげて泣いている。
産道にはさまってた時間が少しながかったせいか、顔面が若干青黒い…ごめんね、苦しかったね…。
お顔をしっかり見た。
上の子に、よく似ている。
身体はまだ胎脂がついている。
紙ごしではあるが、私の身体の上に赤ちゃんを乗せてくれる。ほんの数十秒ではあったけど。
小さい。かわいいな。
赤ちゃんは隣の部屋へ連れていかれ、きれいにされる様子が分娩室のモニターに映し出された。
私はそれをぼーっとながめていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
1人目出産時は必死だったから、ほとんど何も覚えてない。
それが悔しかったから今回は思い出に残るお産をしたいとバースプランに書いた。
が、2回目の出産もやっぱり必死だった。
でも、前回よりは出産直後の赤ちゃんのことをよく覚えている。
とくに肩が引っかかってマタの間に挟まってるシーンとか、目に焼き付いてるし。笑
赤ちゃんの体重は3200gを超えていた。
エコーでは2900gだったのに…。
頭も肩もでかいから引っかかるわけだわ。
前回よりも今回のほうが痛かった気がする。
前回は今回よりも300g小さかったから、その差だろうか?
前回は胎盤がなかなか出てこず、用手剥離となりすごく痛かった思い出があるのだが、今回は結構すんなりはがれた!
でも若めの助産師さんや先生が代わるがわる、収縮し始めているお腹を押しながら胎盤を引っ張るから、激痛ではあったけど。
さらに残りがないか確認するとのことで、お腹押しながら膣から子宮に手を突っ込まれる。死にそうに痛い。
ドロドロと血が流れ出てる感じがする。さらにグリグリとお腹を押され…まさかの便も少量出てしまうという…失態や…_| ̄|○泣きたい。。
今回、会陰切開はしなかったようだ。
少し裂けてしまったので、局所麻酔をして3針ほど縫った。これも痛いっつーの。
点滴は子宮を収縮させる薬剤が入ったものに切り替わっており、後陣痛がスタート。
痛いことばっかりだわ…。
出産後、何度か血圧を測られる。
上は110〜120台だけど、下が70〜90台と高いことがあった。
前回、産後2日目に妊娠高血圧症候群と診断されたため、今回も大事をとって、点滴ルートはキープしたままになった。ご飯は塩分8gの制限が設けられた。
本日日勤だったベテラン風助産師さんは記録とかやりつつ、「じゃあねぇ〜」と帰っていった。
若めの助産師さん、分娩介助はイマイチだったけど、態度や話し方はとても丁寧で好感を持てた。
分娩台の上で身体を拭いてくれ、着替えをしたあと、授乳をさせてくれた。
産まれたばかりなのに、上手に吸ってくれる!
わずかな時間だったけどとても嬉しかった。
旦那にも再度入室してもらい、3人で写真撮影をしてもらった。
私の顔は疲れ果て死人のようだったが、1人目のときよりも少しだけマシな写真だった。
旦那は仕事に戻り、私は分娩室で少し休む。
腹が痛すぎて眠れなかった。
1人目のときよりはるかに痛い、後陣痛。
しかし、子宮収縮薬剤入りの点滴が終わると、痛みは少し和らいだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
出産後2時間が経過したため、車椅子で部屋に戻る。
夕飯を持ってきてくれるが、まだ気持ち悪いし後陣痛の痛さでほとんど食べられなかった。
旦那が上の子を連れて面会に来てくれた。
助産師さんが赤ちゃんも連れて来てくれて、上の子は赤ちゃんと初めての対面!
最初はそっけない感じだったけど、「赤ちゃん」「泣いてるよ」「赤ちゃんかわいかったねぇ」と言ってくれた。赤ちゃんのほっぺをさわったり、おでこにキスしようとしたり。笑
なんとも微笑ましい!
旦那もここ1ヶ月近く気を張っていたようで(出産に立ち会えるよう、彼なりに仕事を工夫してくれてたみたい)、さらに夜中に陣痛がきてもいいよに臨月入ってからは禁酒もしてくれていた。
なんだかんだ、協力してくれていた。
「帰ってビール飲も」と言い、病院を去って行った。
私は後陣痛のせいなのか、ハイテンションのせいなのか、なかなか寝付けなかった。
明日から授乳が始まる。
新しい生活が始まった。
40週2日 出産の記録と記憶。①
40週2日、午前中は妊婦健診に行きました。
朝から少しお腹が張るな、と思っていましたが
NSTではさほどお腹の張りはキャッチせず(数値的には20台くらい)。赤ちゃんは元気そう。
エコーでは頭96ミリ(!!)。でけぇ!!
産むときさぞかしつらそう…と不安になる。
足は私に似たのか短足との残念なエコー結果…。
頭はまだ下がりきってない。
内診では子宮口5センチ。3日前の健診より1センチ広がっていました。
内診でまたグリグリされました。前回より痛い(T_T)
先生からは「5センチ開いてれば普通、陣痛がきてもおかしくないんだけど…。とにかく予定日を過ぎるといいことはないので、今日産まれなければ陣痛促進剤を使いましょう。明日、朝一で入院してください。」と言われました。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
内診の刺激のせいか?
帰り道、車の中でお腹が痛い…気がする。
いつもより、痛い。陣痛なのか?
よくわからないままとりあえず帰宅。
お昼の12時くらいだった。
帰宅すると、旦那はたまたま家に戻っていたので状況を説明する。
午後の仕事は割り振りすればなんとかなるとのことで、旦那に病院まで送ってもらうことにする。
でもその前に、お昼ご飯を食べることにした。
妊婦健診の前は何も食べないから(助産師さんの前で体重測定しなきゃいけないから…少しでも減らしたくて)お腹すいてしまって。
私はだんだんと、まっすぐ立って歩けないくらいにお腹が痛くなってきた。
病院に電話し現状を伝えると、入院の準備をして来てくださいとのこと。
陣痛の間隔は3分から5分くらいで不規則だったから、本陣痛ではないかもしれない、と、この時点ではまだ自信がなかった。
旦那の仕事用の車(マニュアルの軽自動車)に乗り込み、いざ病院へ。
エンジンをかけ車を動かした瞬間、私はこの車に乗ったことを後悔する。
(すっげぇーーー乗り心地悪い!!)
マニュアルの軽自動車の揺れは、陣痛中の私にはひどくつらいものがあった。
陣痛の間隔は4分くらい。
名前、何にしようと考える余裕が、まだあった。
20分ほどで病院に到着。
このとき、13時くらいだったと思う。
前回の出産時と同じ病院。
1人目をとりあげてくれたベテラン風の助産師さんが来てくれる。
内診してみるが、午前中の健診のときと所見は変わらず子宮口5センチ。
NSTでは2分おきくらいに陣痛の波を示していた。
このときの数値は50台くらい。
まだ耐えられる痛み。
ベテラン風助産師さんに「どうする?」と聞かれたが、この状況で帰る人もいるんだろうか?
このまま入院となる。病室まで歩く。
着替えをして病室のベッドに横になる。
このとき13時30分頃。
まだ本を読む余裕があった。
ベテラン風助産師さんが背中や腰をさすってくれる。
陣痛が来たときには強めに、私の呼吸と合わせてマッサージしてくれて、とても楽になる。
本当、この助産師さん神。
が、ナースコールがありベテラン風助産師さんが退室してしまった。
陣痛が来た。なんとか呼吸法だけでやり過ごそうとするも、助産師さんがマッサージしてないとめっちゃ痛い!!!
代わりに旦那がさすってくれるが、全然違う。。。
でも2分おきにくる陣痛のたびに腰をさすってくれてありがたかった。
途中、「眠いな…」って言ってたけど。
普段なら怒るけど、もうそんな余裕はなかった。
私は痛みに弱いせいなのか痛いと気持ち悪くなってしまう。前回の出産時も吐きそうだった。今回もだんだんと気持ち悪くなってきた。
呼吸はゆっくり吸ってゆっくり吐くことを意識した。
最初は10回くらいの呼吸で陣痛の波は引いていたのに、徐々に陣痛時間が長引いてくる。
呼吸回数が14回くらいになった。痛くて声も出てしまう。
ベテラン風助産師さん再登場。
待ってました〜!
内診してみる。子宮口6センチ…
1時間で1センチしか進んでねぇ…_| ̄|○
先が見えない。このまま一晩越すのだろうか。
無理。
「トイレ行っとこうか」と言われ、陣痛の合間を見はからいトイレへ。
排尿あり。結構出た。
なんだか破水しているような気がする。量は少ないけど、拭いても拭いてもティッシュがしめる…気がした。
しかし腹が痛い。
ベッドに戻ると「余裕あるうちに、点滴のルートだけ取らせてね」と言われる。
いえ、もう余裕ねぇっすが。
このベテラン風助産師さんはルートを取るのが苦手なのか、それとも私の血管との相性がことごとく悪いのか、必ず失敗される。
1人目出産時も失敗されたし、つわりで点滴してもらいに来たときも失敗。
そして今回も、失敗…頼むよ、マジで。
ルート取れないまま、いったん陣痛室に移動になる。
もう、陣痛中は痛くて立ってるのがつらい。
ベテラン風助産師さんが「だいぶ進んでそうだね。陣痛室はとばして、分娩台に乗ってみようか。」とのこと。
まだ真っ平らの分娩台に仰向けになる。
このとき、16時くらい。
陣痛がくると本当につらい。痛い。吐きそう。
NSTのモニターは99を示している。かと思いきや、10台になったり。結構痛いのに10っすか!?マジっすか!?と心の中で問う。
無事にルートもとってもらえ、ブドウ糖の点滴が開始される。
旦那入室。
ベッドは真っ平らのまま、「もう力入れていいよ」と言われる。
1人目のときは結構早い段階でいきむコツをつかめたのだが今回は足が震えて力が入らない。
40週2日 出産の記録と記憶。② へ続く。
39週6日。旦那に殺意を覚える。
妊婦健診に行ってきました。
頭は下がってきてないけど、子宮口はグリグリをして4センチほど開いたらしい。
先生から「今日か明日には産まれるかも」と言われました。
旦那にもその件を伝えました。
数時間後に旦那から電話が。
「俺さ、今日飲み会だったんだわ。行ってきてもいい?」
それを聞いた時、悔しいと同時に悲しくなりました。
旦那が出産に対してどれだけ軽く考えているかを思い知らされました。
産むのは私。痛い思いするのは私。不安なのは私だけ。つわりに苦しんだのも旦那ではなく私だけ。妊娠出産で仕事を休むのも私。週末、旦那は1人で趣味に出かけ帰りは22時頃なのに大きなお腹で上の子を公園に連れて行くのは私。
旦那の母親に電話してやろうかと思った。
「おたくのバカ息子は妻の出産より飲み会が大事だそうですよ。」って言ってやりたかった。
旦那は親離れできてないし義母も子離れできていない。こいつらと一緒にいるとイライラする。
今日の出来事のあと、不覚にも涙が出てきた。
今日のことだけではなく、今までの、いろんなことを思い出して悲しくなった。
それが一気に押し寄せて、泣いてしまった。
こんなバカなやつが出産に立ち会いしたところで何も変わらない。
1人でいい。別に、大丈夫だ。
あんなバカはいなくていい。
強くなってやる。