home sweet home...

liccaといいます。趣味に没頭する生活が一変、田舎の長男に嫁ぎました。家事苦手、料理修業中。2児母。ワーママ、現在育休中。

言葉。1歳8ヶ月

覚書です。

1歳8ヶ月までに言えるようになった言葉。↓

 

パパ、パプ

ママ、マム

おいしい

パンパン(パンのこと)

わんわんいた

チュンチュン

ニャンニャン

ブーブーいた

あかちゃん

にゅうにゅう(牛乳)

ジュース

ちち(おっぱい)

ねんね

なに?

せんせい

みて

よいしょ

ついた

くっく

パチン(電気をつけるとき)

うちも(ゆーちゃんも)

やだー

めしも(ネズミのメイシー)

あち(熱い)

フーフー(ご飯を冷ます)

かなー?

ズボン

おいしい

おい

◯◯、して。と二文語も。ちち、して。で、おっぱいちょうだい。

おきて(と言いながら私の顔をたたく)

なにしてるの?

 

 

最近、かえるの歌を歌い出してびっくりした。

保育園で習ったらしい。

トントントントンひげじいさん、ってやつも、手遊び付きでやってる。可愛い。

今日はチューリップも歌っていた。

どんぐりころころ、大きな栗の木の下で、ハッピーバースデーの歌も。

言葉の理解はだいぶ進んだ。

ズボンも1人で履けるようになってきた。

毎日ものすごい勢いで成長していく。

毎日、本当にかわいい姿を見せてくれてありがとう。

この子が大きくなったら、今のこの子を懐かしく思うのだろう。その時を思うと、今から切ない。

日々の成長はとても嬉しいけど。もう少し、このかわいいままの姿でいてほしいと思う。

新人さんと仕事する

教育担当ではないのですが

私も、社会人一年目の子と仕事をすることがあります。

 

転職経験が比較的多い私は

まっさらな新人ではないけど、

慣れるまでは

職場に行くことや、

どんな人かわからない人と仕事をすることに対するストレスを

感じることが本当に多かったです。

 

社会人一年目なんて、覚えることも多くて

大変だな…

 

しかし、うちの部署に配属された今年の新人さんたちは

みんなすごくしっかりしてて、

先輩との会話も臆せずするし

仕事もがんばってる。

私の新人のときとは大違い。すごいです。

 

 

昨日は仕事が結構忙しく

新人さんと組んでなんとかこなしていましたが

やっぱり終わらなくて残業でした。

手の空いている人もいたようだから

ヘルプを依頼すればよかったな。反省。

上手くできない自分に対してもだけど、

リーダーに対しても少し、イライラすることがあった。

新人さんに対しては

一つのことをきちんと終わらせてから

次のことに取り掛かったほうが

結果的にミスもなくていいんだけどなー

と思うこともあったけど

それは何年も仕事をして経験したからわかること。

新人さんは自分で考えて、

これが最善だと思った方法で、きっとやっている。

ただ、慣れていないからペースが遅くて残業になってしまうだけのこと。

 

 

私は性格上、いつもビクビクしていて

先輩からすればイライラの対象になるし

後輩からすれば頼りないと思われるか、バカにされる存在だと思う…

 

今まで、とても優しい先輩もいたけど

キツくあたられることも多かったな…

私はそういう先輩にならないように気をつけよう。

 

 

うちの職場では

『教育』が重要視されてるけど

私はそこまで力を入れるものではないと思う。

慣れれば誰でもできる仕事だから。

大したことしてないし。笑

私じゃなくてもいいし。

だからって、責任を持たないわけじゃないですが。

そこまで緊張することないよって。

人によってペースは様々。

出来る子もいれば出来ない子もいる。

ゆっくり慣れていってください。

それでいいと思う。

 

仕事配分が偏ってることに気づかないほど

周りがヘルプに入れないほど

忙しい職場は

殺伐とするから新人さんはつらい。

余裕、時間、心のゆとり

先輩たちは持って欲しい。

仕事復帰して3週間ほど経ちました

つわりで2ヶ月以上も仕事をお休みしていました。

職場の方には多大なご迷惑をおかけしました…

忙しいのに休ませてくれて、本当に感謝しかないです。

 

 

仕事復帰してからは時間の無さに毎日てんてこまい。

常にイライラしてる。

朝は5時30分に起きて自分の準備をしたら

朝ごはんの準備をして子どもに食べさせる。

6時40分には家を出て

(保育園への送りは旦那がやってくれる)

7時30分過ぎに職場について

上司に謝り同僚に謝りながら仕事して

ストレス溜まるな〜…

18時00分頃仕事終わって

私が間に合えば保育園のお迎えに行く。

間に合わなければ旦那(家から職場も保育園も近い)にお願いして

19時00分頃帰ってきたら

夕飯の支度をする。

ご飯食べたらお風呂に入って

まだ寝たくないけど

眠くて眠る。

 

これの繰り返し。

頭の中は仕事中は仕事のこと。

帰宅時間は夕飯のメニューと翌日のこと。

 

 

もう少し、旦那に早く帰ってきてほしい。

家のことをやってほしい(子どものお風呂と洗濯はやってくれてるんだけど)と伝えたら

ケンカになった。

ダメだわ。

私が本当に伝えたいことがなんら伝わらない。

辞めたい。死にたい。つらい。

うまくできない自分が嫌になる。

母親になる自信がなかった

私は自分のことが大嫌いでした。

自信がありませんでした。

人間関係もうまく構築できません。

コンプレックスの塊で性格もひねくれてる。

子どものときからよくキレて親を困らせてばかりでした。

10代の頃は死にたいと思ってました。

20代になって仕事するようになってから

少しずつ色々なことを受け入れられるようになっていきましたが

根本的なことは変わりませんでした。

仕事も長く続かず、何度も転職しました。

 

そんな時、あるスポーツに出会いました。

人生を変えるような出会いでした。

それをしているときは本当に楽しくて

もっと上手になりたくて、必死に練習しました。

どんどんのめり込んでいきました。

そのスポーツを通して、知り合いが増えていきました。

人生が少し楽しくなりました。

このスポーツをしているときは、嫌なことを全て忘れられました。

嫌なことを忘れ、ただただ上達するために努力する、きれいな自分でいられる。

自分を憎んでいることも忘れさせてくれました。

 

学生時代は暗黒でしたので恋人などいるわけもなく。

しかし趣味ができてから激変しました。

共通の趣味があるということ、それは恋愛においてとても重要で

コミュニケーションがへたくそでも

「楽しい時間を共有する」ということにより距離は縮まっていく。

趣味という共通の話題がある。

出会いがたくさんあり、表面的な付き合いができるようになっていきました。

 

仕事でも表面的な付き合いだけはできるようになってきましたが

相変わらず、根本的には変わっていませんでした。

 

20代半ばで今の旦那と出会い、付き合い始め

20代後半で結婚。出産しました。

 

1人目を妊娠中のとき、私は常に不安でいっぱいでした。

たくさんの不安要素がありました。

 

 

『私は子どもが苦手。かわいいと思えない』

弟妹もいなかった私は、小さな子の相手をしたことがありませんでした。

赤ちゃんをあやしたりなんてできない。

どう扱っていいかわからない。

小さな子どもが泣いているとイライラする。

なんで泣くのよ、わがままで、だから子どもは嫌い!と思っていました。

自分の子どもを愛せる自信がありませんでした。

 

 

『きっと自分みたいな性格の子どもになる。そんな子ども、育てられる自信がない』

『私に似たら、きっとブサイクだ』

コンプレックスの塊の私は自分の容姿を憎んでいたから

子どもの顔やスタイルが私に似ることを恐れていました。

性格も顔も醜いから、自分の遺伝子を残すことに罪悪感さえ感じていました。

 

 

『かわいい。大好きよ。愛してる。が言えない』

そんな言葉を今まで言ったことがなかったから。

ストレートに言われたこともなかった。

恥ずかしくて言えるわけないと思ってました。

 

 

『趣味が出来なくなる。私が私じゃいられなくなる』

趣味をしているときが唯一の楽しい時間だったのに…

それができなくなり、私が私でいられなくなるような感覚に陥りました。

今まで練習してきたのに、もう筋力も体力も落ちてしまう。出産後だって復帰できない可能性が高い。

私は今後、何を目標に生きていけばいいんだろう。

…今思えば「何言ってんの」っていうような悩みですが、当時は本気で悩んでていました。

 

 

『旦那に浮気されるのが嫌だ』

『嫌われる』

私が妊娠してからも、浮気性の旦那は出会い系をしたり、私が仕事でいないときに知り合いの女性を連れ込んだりしていました…

自分に余裕があれば、趣味をしているときなら許せても、妊娠中は許せなかった。

泣いてわめいて、謝らせた。

そんな自分も嫌でした。

 

 

『子どもが産まれたら、私を愛してくれる人がいなくなる』

夫婦は血が繋がってない。

他人の私より、旦那は子どもを愛するに決まってる。旦那は私より子どもを大事にするに決まってる。

子どもですら、母である私よりも、父親のことをすきになるに違いない。

誰も私のことを必要でなくなる。

そんな風に思ってました。

 

 

妊娠中、私はどんどん醜く、昔の自分に戻っていくのを感じました。

恐怖でした。この先、私はどうなってしまうのだろう。

心が闇に埋もれて、もう生きていけないかもしれない。

 

 

それでもどんどん大きくなるお腹。

誰にも相談することはできなかった。

もともと自分の考えを伝えることが苦手だったけど

ましてやこんな、自分の核をつくような話は誰にも言えませんでした。

本音で話せる人なんていなかった。たとえ旦那でさえ。

 

 

臨月のときも旦那との喧嘩は絶えませんでした。

破水し、出産日を迎えても。

入院中、旦那はほとんど面会に来ませんでした。

退院してからわかったことですが、

私が入院しているあいだも、

旦那は知り合いの女性に声をかけ

会う約束を取り付けていました。

 

 

産まれた我が子を見ても、まだ実感がわかない。

かわいいとも思えない。

ふにゃふにゃの赤ちゃんを抱いて不安ばかりがつのりました。

 …私に似ている。ブサイクな、私に。

一重で鼻が低くて。美人の要素がない。

育てていける自信がない。

 

 

出産後、慣れない育児。

旦那の浮気。

崩れるホルモンバランスに私の精神状態はズタボロでした。

もう嫌だ。死にたい。

 

なぜ私は、こんなヤツの子どもを産んだのか。

たくさん泣いた。

泣いてもなにもかわらなかった。

 

 

自分はどんどん醜くなっていく。

子どもは癇癪でよく泣く。

私はこの子を愛せるのだろうか。

不安を常に抱きながら

日々過ぎていった。

 

 

そんな、どうしようもない自分だったのに。

いつからだろう。

 

 

子どもが産まれて、数ヶ月が経ってからだと思う。

私に母親という自覚がわいてきた。

自分の子どもがかわいくなってきた。

子どもに自然に話しかけられるようになってきた。

本当に、少しずつだけど。

 

 

1日、1日を過ごしていくうちに

「かわいい」も「大好きよ」も

言えるようになっていった。一年近くかかったけど。

 一般的にいうような美人とは程遠いけど

自分の子どもが本当に可愛くて仕方ない。

大好きだ。

毎日ギュッと抱っこできることが幸せだ。

日々、大きくなっていくことを寂しく感じるくらいに。

 

 

ひねくれてる私だけど

今も自信なんかないんだけど

それでも子どもを愛する母親になったんだ。

人は変わる。子どもだけが、変えられるのかもしれない。

 

こんな葛藤があったことを、少し前まで忘れていました。

2人目を妊娠して、少し思い出した。

当時のどうしようもない自分のことも忘れないように、記録しておこう。

嘔気嘔吐の次は頭痛。漢方を飲んでみる。

妊娠初期、体調不良が続いています…

先週は比較的良かったのですが、今週は頭痛がひどい。

あまりに痛くて気持ち悪くなり吐いてしまうほど。

気持ち悪いのもつらいけど、頭痛もつらいな…

 

 

妊娠前も偏頭痛持ちで、ロキソニンが手離せませんでした。

妊娠してから今までも、ちょいちょい頭の痛い日はありましたが

妊娠中はロキソプロフェンは禁忌とのことで

内服はせず我慢。 

 

少し前に、頭痛に関して産婦人科の先生に相談すると、漢方を処方してくれました。

妊娠8週だかそれくらいのとき

まだつわりがひどくて嘔気嘔吐もある中

頭痛までしてきて本当につらくて

処方してもらった漢方を飲んだことがありました。

 

…良くなるどころか悪化しました、吐き気が。

 

その漢方、調べてみると利尿作用があるみたいで。

妊娠初期の頭痛の原因の一つに

妊娠中は胎児に血流(酸素)を送るため、母体の血液循環量が増える。必然的に頭の血管も拡張し、脳神経に触れ頭痛が起きる。ということがあげられるそうです。(素人の解釈です、間違ってたらごめんなさい)

処方してもらった漢方は、脳へ行きすぎた血流を少なくし神経への圧迫を取る、そのための利尿作用だそうで。

 

しかし私がその漢方を飲む時期が悪かった。

つわり真っ只中で脱水状態の中、さらに利尿作用で尿を排泄したらさらに脱水が進む。

そして私はさらにひどい吐き気に襲われた。

…少し考えればわかることなのに(;_;)

処方してもらったからといって安易に飲んじゃいけませんね。

情報がありふれてる世の中ですから、少し調べればわかることでした。反省…。

 

 

この1週間は頭痛がつらかったんですが

そんなことがあったので

漢方を飲むのがすっかり怖くなってしまいました。

また気持ち悪くなったらどうしようって。

でも今は脱水状態ではないしケトン体も出てない。

だからきっと大丈夫なはず…

と思い、今日、内服してみました。

内服して少し眠り、目が覚めたら

頭痛が少し改善している!!!

漢方なんか効くわけない(すみません)

って思っててごめんなさい。

ネットで調べてみると、漢方は効く人と効かない人にわかれるようで

これが効かないとなると、アセトアミノフェンカロナール)を処方してくれる医師もいるのだとか。

 

妊娠は一人ひとり違うと言ってくれるけど

私も普通に働いて、元気な妊婦さんになりたいです。

早くつわりが解明されて

つわりに悩む妊婦さんがいなくなりますように。

癇癪で困る

一歳半の子ども

癇癪がすごいです…

買い物に行ったら

自由に歩きたい!と走りだし

手を繋ごうとすると振り払い

商品を自由に手に取り

「ないないしようね」と商品を戻そうとすれば

床に突っ伏して大泣き…

プールに行けば着替えで大泣き。

外食では数分で飽きちゃって座ってられず

皿で遊びだすか泣くかだから

外食はしたくない。

家でオムツをかえるときも体をのけぞって嫌がり泣く。

最近はお風呂も嫌で大泣き。

…もう、こっちが泣きたいっすヽ(;▽;)ノ

 

 

生後数ヶ月のときから癇癪の徴候はあったかもしれません。

ベビーマッサージでは泣かずに最後までできたことってほとんどないし(他の子は気持ちよさそうにしてる)

ベビースイミングだって大号泣でいつも途中退室してた。

 

 

子どもと2人で出かけるのが億劫です。

ダメな親です私…子ども1人でこの状態。

子どもが2人、3人いる人はもっと大変なのに、

公園連れて行ったり買い物にも行ったり。

本当にすごい。尊敬しちゃう。

2人目産まれたらどうなるんだろう。怖い。

2人つれて公園や買い物に行けるの私?

 

…自信ないヽ(;▽;)ノ

義家族と食事へ行くこと…愚痴です

「もしもし〜、体調どう?」

仕事中の旦那からの電話だ。

ふだん、私のラインはことごとく無視するくせに。

ふだん、私の体調を気にかけるような電話なんかよこさないくせに。

 

こういう電話をよこすときは決まって

私にとって嫌な報告があるときだった。

 

「…何、どうしたの?」

「親父が夕飯一緒にどうって。」

 

はぁーー…またか。

定期的に開催される食事会。

事前連絡はなく、当日急に誘いがくる。

 

最近はつわりで断ることが多かったが

今日は比較的楽なほうで

行けないこともなさそうだ。

 

本当は行きたくないけど。

義母には野菜をいただいたお礼を言わなければ。

義父には桃をいただいたお礼を。

義理弟は最近結婚したから奥さんに挨拶しないと。

 

これらのことが頭によぎる。

「…わかった。何時頃?」

 

一気に気が重くなった。

 

 

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田舎の長男に嫁いで3年になるが

私は未だに義家族が苦手だった。

悪い人たちではないのだが、一緒にいるととにかく疲れるのだ。

少し会うだけで気づかれする。

義母を前にすると旦那は「息子」に戻るから

私に気を遣うなんてするわけもなく

自由にお酒を飲み、自由にご飯を食べる。

私にはわからない昔話と、私の知らない人の話で盛り上がる。

私一人ならいいのだが

何をしでかすかわからない1歳児の子どもがいる中で旦那にそれをやられると

正直きつい。

(おいおい、酒ばっか飲んでないでおまえも子どもにご飯食べさせろよ。)

(子どもが皿でガチャガチャやってても放置かよ。)

(子どもの目の前に鉄板置くんじゃねぇ…少し考えればわかるだろ。)

いろんなことが頭によぎる。

私の脳内は一人ツッコミ状態だ。

 

…今日の食事会は8名。

第一希望だった小料理屋は激混みとのことで急遽、居酒屋になった。

義母宅での食事会ではなく、外食なのは不幸中の幸いか。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

友人から八方美人のレッテルを貼られたことのある私は、とりあえず円満に事が終わるように心がけた。

まずは義父母に野菜等をいただいたお礼を伝えた。

そして義理弟の奥さんに挨拶をした。

その後は、目の前に座っている義母に、最近の子どもの様子を話したり、子育てのことを聞いたりした。

義母は3人の子育て経験があり大先輩だ。だから私は、その経験を参考にさせてもらおうという気持ちは常に持っている。

「最近、イヤイヤ期なのか自己主張が激しくて。この間、買い物に行ったとき床に寝転がってギャーッて泣くことがあって大変でした。○○くん(旦那)はそういうことなかったですか?」

今はそういう時期よね、っていう返答を期待していた。

深い意味はなかったのだが。

義母からかえってきた言葉は

「なかったよ。それ、△△ちゃん(私)の血じゃないの?」

というものだった。

 

…あぁ、そうですか。悪いことは嫁(私)の血のせいなんですね。

 

その他にも様々なジャブが繰り広げられた。

旦那の発言にもイライラした。

今まで散々、子どもは旦那似だと言ってきた義家族だが、最近は私に似てきたという話になったとき、旦那は

「ばーちゃんもそう言ってた。埼玉(私の出身地)似なんじゃねぇ?って」

 

はぁ?埼玉似って何?

義祖母はもはや、私の名前を忘れたようだ。

埼玉から来た嫁という記憶しかないのだ。

義祖母は私がいないところで、私のことを「あの嫁」呼ばわりしているのを私は知っている。

 

もちろんこの後もジャブは続いた。

 

あぁ、この義家族はどうしてこうもデリカシーがないのだろうか。

ただ、この日はジャブだけで、ストレートやカウンターがなかったからまだマシかもしれない。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

おいしいお酒とおいしいご飯をたらふく食った旦那は終始ご機嫌で

私は運転手となり40分の帰り道の運転をした。

どっと疲れがきた。

 

 

世の中のお嫁さんたちはどうやって過ごしているんだろうか。

義母や義祖母と上手くやってる人が多いのかな。

義理弟とその奥さんとも仲良いのかな。

気にしすぎな私の性格が、旦那と義理家族と合わないことはこの数年の間に思い知らされたつもりだったのだが。

期待しないように、いちいち気にしないように、してるつもりなんだけど…。

なのに、疲れるんだ。

上手くやれない自分に対しても腹立たしいのだ。

 

旦那は所詮、他人。

旦那の親兄弟も私にとっては他人でしかない。

30年という年月を一緒に生活してきた人間と、そうでない人間が、たった3年で本当の家族になれるわけもない。

 

嫁の立場は弱い。

旦那が味方してくれないなら尚更だ。

子どもは旦那の血を引いている。

私はこの地でひとりぼっちだ。

子どもが大きくなったとき

私の存在意義ってなんだろうって

わかるよ、今から。絶対、考え悩むんだ。

 

私もたまには、娘に戻って

父母と話がしたい。

おいしいご飯を食べに行きたい。

なんで我慢ばっかして

言いたいことも言えなくて

それでもニコニコ気を遣って

嫁って孤独だ。何より大変な仕事じゃないかって思った。

 

全国のお嫁さん、毎日ご苦労様です。

どんな形であれ、私はあなたを尊敬します。

そんなことを考える、真夏の夜更け。